記事の内容
・モネの「睡蓮」について
・クロード・モネについて
この記事を読むメリット
・モネについて詳しくなれる
・「睡蓮」についてより深く知れる
・モネ展をもっと楽しめる
この記事を読まないデメリット
・モネについて聞かれたときに答えられない
・モネ展に行ってもよくわからないまま終わる
モネの絵画「睡蓮」について紹介!
こんにちは。松河潤です。
モネの絵画の代表作と言えば「睡蓮」。
一度は聞いたこと、見たことある人も多いでしょう。
そんな有名な「睡蓮」ですが、
実は「睡蓮」は一つだけじゃないって知っていましたか?
今回は、モネや「睡蓮」についてより詳しく、
深く知れる豆知識などを紹介します!
クロード・モネとは
クロード・モネ(1840.11.14~1926.12.5)は、
フランスの印象派の画家です。
幼いころから絵が上手く、
人物の絵を描いて売れるほどの実力がありました。
18歳の頃、風景画家ブーダンの影響で戸外での油絵制作を始め、
1859年には、パリにでて絵の勉強を始め、
ピサロやルノワールと知り合いました。
1865年のサロン・ド・パリに初入してから、
サロンへの挑戦を続けましたが、
しばらくの間は出店しても落選される事態が続きました。
1874年に、仲間たちと、のちに「第一回印象派展」と呼ばれる展覧会を主催し、
そこで「印象・日の出」(1872)を出展しました。
しかし、当時の評価はかなりひどいものでした。
1890年代、自宅に「花の庭」と、睡蓮の池のある「水の庭」を整えていき、
1898年頃から睡蓮の池を特に描くようになりました。
「睡蓮」はその時代に描かれた一連の作品郡の総称で、
作品自体は200作以上あります。
一つのモチーフを200作以上も描くなんて驚きですね!
「睡蓮」について
「睡蓮」第1連作
モネは 1890年に地所を購入してから、
家の周りに作った「花の庭」に手を入れていました。
1893年に隣の敷地を購入すると、
ここにリュ川の水を引いて睡蓮の咲く池を作り、
「水の庭」と呼ばれる日本風の太鼓橋のある庭を作りました。
1900年までの「睡蓮」の第1連作は
太鼓橋を中心に、睡蓮の池と枝垂れ柳が、光の変化に従って描かれています。
「睡蓮」第2連作
1901年には、モネは睡蓮の池を拡張する工事を行いました。
そして、1900年代後半まで、「睡蓮」の第2連作に取り組みます。
第2連作では、太鼓橋が描かれることが少なくなり、
池の水面を重点的に描いています。
また、 当初は睡蓮の花や葉が主なモチーフでしたが、
次第に水面に移る空や柳の影が主役になります。
「睡蓮」大装飾画
1909年の個展の時に、
モネは部屋を「睡蓮」で装飾するというアイデアを思いつきました。
当時モネは老化による視力低下により制作画困難になっていましたが、
友人や政府などの助けもあり、
1914年からアトリエで
高さ2m、幅4.3mの巨大なキャンバスを横に4枚つなげて
『睡蓮』大装飾画の制作を続けました。
『睡蓮』大装飾画は、テュイルリー公園内のオランジュリー美術館に収められました。
「睡蓮」の市場価格
1983年、「睡蓮」は5億6,052万円で売れ、驚かれましたが、
1987年11月10日に他の「睡蓮」がニューヨークで4億620万円で売れました。
1998年6月30日には
「睡蓮の池と水辺の小道 」が
ロンドンで43億596万円という史上最高価格で売れました。
モネの絵画は歴史的にも最高クラスと評価されたのです。
まとめ
・モネはフランスの代表的な印象派の画家
・「睡蓮」は200作品以上あり、モネの家の庭で制作された
・「睡蓮」はモネの市場での評価を高める役割を果たした
モネは現在でこそ有名な画家ですが、
彼が評価されたのは彼の死後だというのだから驚きです。
「睡蓮」はモネの評価を高めるための
重要なカギになったと言えるでしょう。
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